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「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」(新改訳)という使徒の働き16:31は、家族の救いのために祈るクリスチャンにとって、最も励まされる御言葉の1つです。しかし、時に、「私がイエス・キリストを信じれば、家族も救いの恵みに必ず預かるのだ」と考え、この御言葉を、
私の信仰によって家族が必ず救われる約束として受け止められる場合があります。たとえば日本キリスト改革派教会中部中会日曜学校委員会が発行する「
子どもカテキズム」の問73には、クリスチャンの子供に幼児洗礼を施す証拠聖句の1つとして使徒16:31を挙げ、このように理由を記しています。
キリスト者の子どもは、恵みの契約によって、教会の中に入れられていますから、洗礼を施します。そのほかには、信仰を告白して、教会に許された人でなければ、洗礼を施してはなりません。
「恵みの契約」というのは改革派神学特有の概念で、一言で言うと「神が、キリストの贖いを根拠として、信仰告白者たちとその子供たち全体を救われること」と言えます。鈴木氏によると、長老改革派が信者の子供に幼児洗礼を施す根拠は、アブラハムとその実の子孫が霊的・現世的祝福を得る契約の証印として受けた割礼にあります。使徒16:31を引用しながら、旧約の割礼から幼児洗礼へと類推して「恵みの契約は、福音の豊かさゆえに、新約の時代になっても適用範囲が拡大されることはあっても縮小されることはない」(1032)と言っています。非常に複雑な理論ですが、要するに使徒16:31の御言葉を、「私個人の信仰によって、少なくとも私と私の子供は救われる」と理解しているようです。
一方、この聖句を「私の身にも起こった神の救いは、同じように家族にも実現可能である」という
家族の救いの実現可能性として受け止める人もいます。ルイースとディマーストは共著「Integrative Theology」にてこのように記しています。
kai ho oikos sou(『あなたの家族も』という句のギリシャ語。訳者注) という句は、看守の信仰が彼の家族を救ったという意味ではなく、彼の身に起きたと同じことが家族にも起こるチャンスが開かれていたという意味であるというのは重要です。(3:265)
もしそうであれば、家族の中にクリスチャンがいてもいなくても、親がクリスチャンであろうがなかろうが、永遠の滅びから救われるためには、年齢によって区別なく一人一人がイエスを主と信じなければいけません。一体、使徒16:31はどちらの意味で理解すべきなのでしょうか。
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使徒行伝1:8を漸進的にとらえる方々がおられます イエス・キリストは復活された後、「エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、私の証人となるであろう」(使徒1:8.
口語訳聖書
)と11使徒たちに約束されました。イエスの昇天後、聖霊の降臨とともに実際に使徒たちを中心とした約120名の弟子たちは力を受けて、エルサレム(2:1-7:60)、ユダヤとサマリヤの全土(8:1-9:31)、そして地のはてまで(9:32以降)イエス・キリストの証し人となります。この歴史的地理的展開の事実ゆえに、1:8の11使徒たちへの神の約束を「福音宣教の漸進的地理的展開の約束」と受け止める方々もおられます。「『さらに』地のはてまで」と意訳する
口語訳聖書
にはそのような意図を感じます。Richard Longeneckerが「(宣教命令のプログラムは)エルサレムにはじまり、『ユダヤとサマリヤの全土』へと移動し、そして『地の果てまで』へと拡大する」(
John-Acts
.
The Expositor's Bible Commentary
. Ed. Frank E. Gaebelein. Vol. 9.)というとき、明らかに福音宣教の漸進的地理的展開の約束として1:8を理解しています。11使徒へのこの約束を現代の宣教展開にも適用して、「まずは国内伝道、そして将来的に海外宣教も」と漸進的な福音宣教が唱えられる場合もあります。
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