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EBSCOhostには学位論文が含まれていません 先日ご紹介した論文検索ホームページ
EBSCOhost、非常にすぐれたホームページではあるのですが、残念ながら修士・博士学位論文(卒業論文)が含まれていません。学位論文は通常非常に内容が多いですから、10~20ページ程度の論文に照準を絞っているEBSCOhostは射程圏外なのかもしれません。学位論文は通常の論文と比較するとテーマや引用文献数に広がりがありますので、よい参考資料になりやすいです。どのようにして学位論文を調査することができるでしょうか。
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11:11-24は一体性のある箇所なのでしょうか昨日より、ローマ人への手紙9-11章にある「キアズムを含む書簡的構造」を立証する第一歩として、11:16-11:32が倫理的訓戒の箇所として一体であることを確認しはじめました。このことに関して2つの問題点、「11:24-25を構造的に切り離すケースが多い」という問題点と、「11:11-24を一体性のある箇所として捉えるケースが多い」という問題点を取り上げ、昨日は第一の問題点に関して「11:24と11:25は文法的・文学的に切り離せない」ということを確認しました。今日は第二の問題点「11:11-24は本当に一体性のある箇所なのか?」という問題に取り組み、実は11:16-32こそが一体性のある倫理的訓戒のまとまりであることを立証したいと思います。
D. G.Johnsonは論文 “The Structure and Meaning of Romans 11”においてロマ書11章の構造がほぼ普遍的に(1)11:1-10、(2)11:11-24、(3)11:25-32、(4)11:33-36というアウトラインをもっていると認められている、と言います(
Catholic Biblical Quarterly 46. 91.ジョンソン自身は異なるアウトラインを提唱しています)。ジョンソンが確認している神学者たち(E.Kasemann, J.Munck, C.E.B.Cranfield, W.Sanday and A.C.Headlam, C.K.Barrett, A.Nygren, K.Barth)の顔ぶれを見るだけでもいかに11:11-24を一体性ある箇所として捉える説が有力であることをうかがい知ることができます。それ以外にもEverett F.Harrison(
Romans
."
The Expositor's Bible Commentary
. Ed. Frank E.Gaebelein. Vol. 10.)やJames D.G.Dunn("
Romans 9-16
."
Word Biblical Commentary
38B.)もこの説に同意しています。ここまで普及している説であるからには、何かしらの理由があるに違いありません。
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11:16-11:32を、倫理的訓戒の一体の箇所と捉えない場合が多いです2004/11/14「ローマ人への手紙9-11章の構造(総括)」にて、ローマ人への手紙9-11章には「キアズムを含む書簡的構造」があることを記しました。その構造は以下のようなものでした。
Ⅰ. 本論:ユダヤ人・異邦人の選びと救いに関する神学的議論 (9:1-11:15)
A. イスラエルの救いに対するパウロの情熱 (9:1-9:5)
B. 神の選びの有効性 (9:6-9:29)
C. イスラエルのつまづき (9:30-9:33)
D. 選びの福音の啓示 (10:1-10:15)
C’. イスラエルのつまづき (10:16-10:21)
B’. 神の選びの有効性 (11:1-11:12)
A’. イスラエルの救いに対するパウロの情熱 (11:13-11:15)
Ⅱ. 倫理的訓戒:神学議論を踏まえたパウロの倫理的指導 (11:16-11:32)
A. 誇ってはならない (11:16-11:18)
B. 恐れなさい (11:19-11:21)
C. 神の慈愛と峻厳を見よ (11:22-11:24)
D. 無知でいてほしくない (11:25-11:32)
Ⅲ. 頌栄:神学的議論と倫理的指導を踏まえた神への賛美 (11:33 - 11:36)
今日はこの「キアズムを含む書簡的構造」を立証する第一歩として、11:16-11:32が倫理的訓戒の箇所として一体であることを確認したいと思います。さまざまな注解書、論文をみるとき、このことに関して2つの問題点が浮き上がってきます。
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ローマ人への手紙9-11章は最も理解に苦しむ聖書箇所の一つといえますロマ9-11章は、クリスチャンのデボーションライフにおいて最も困難を要する箇所の一つでしょう。その理由は大きく分けて4つあります。第一に「滅びることになっている怒りの器」(9:22.口語訳)の理解に苦しむからです。パウロは"double predestination*"(二重予定)のことを言っているのでしょうか。第二に個人伝道でしばしば引用される「心に信じて義とされ、口で告白して救われる」(10:10)という聖句が、9-11章の中心テーマである「選び」とどのように関わりがあるのか、理解に苦しむからです。神が選んでいるのに、伝道する必要性があるのでしょうか。第三に「イスラエル人はすべて救われるであろう」(11:26)という聖句の理解に苦しむからです。ここでいう「すべてのイスラエル人」とは字義的にすべてのイスラエル民族を指しているのでしょうか、それとも比喩的に信仰者全体を指しているのでしょうか、それともそれ以外なのでしょうか。第四に9-11章とそれ以前の1-8章のつながりの理解に苦しむからです。
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使徒行伝1:8を漸進的にとらえる方々がおられます イエス・キリストは復活された後、「エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、私の証人となるであろう」(使徒1:8.
口語訳聖書
)と11使徒たちに約束されました。イエスの昇天後、聖霊の降臨とともに実際に使徒たちを中心とした約120名の弟子たちは力を受けて、エルサレム(2:1-7:60)、ユダヤとサマリヤの全土(8:1-9:31)、そして地のはてまで(9:32以降)イエス・キリストの証し人となります。この歴史的地理的展開の事実ゆえに、1:8の11使徒たちへの神の約束を「福音宣教の漸進的地理的展開の約束」と受け止める方々もおられます。「『さらに』地のはてまで」と意訳する
口語訳聖書
にはそのような意図を感じます。Richard Longeneckerが「(宣教命令のプログラムは)エルサレムにはじまり、『ユダヤとサマリヤの全土』へと移動し、そして『地の果てまで』へと拡大する」(
John-Acts
.
The Expositor's Bible Commentary
. Ed. Frank E. Gaebelein. Vol. 9.)というとき、明らかに福音宣教の漸進的地理的展開の約束として1:8を理解しています。11使徒へのこの約束を現代の宣教展開にも適用して、「まずは国内伝道、そして将来的に海外宣教も」と漸進的な福音宣教が唱えられる場合もあります。
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