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からしだねさまよりエントリ「
聖書が語る一般恩恵 -その根拠と本質-」への興味深いご質問・ご意見を頂きました。
一般恩恵が神の怒りが遅延されるという点と、一般恩恵においての聖霊の関与という点の両方を同時に受け入れるという考え方は間違っていますでしょうか?堕落前のアダムにおいては神の形に似せられた魂がありました。しかしそれは神様から分離・独立して存在したわけではなく、常に神様との親しき交わりと神様に依存することによって保たれていたのではないでしょうか。アダムにおいて与えられた「神のかたち」と「神との親しき交わり」とが完全に分離して考えられないように、一般恩恵においても「神のかたちの残滓」と「聖霊の関与」の両方を分離しないで考えるということは間違っているでしょうか?すなわち「神のかたちの残滓」が完全になくならないのは、キリストのあがないの恵みのゆえに神の怒りが遅延されている結果であり、聖霊がなくならないように保ってくれているためだという考えです。
以下の2つの課題に還元することができると思います。(1)堕落以前のアダムには「完全な神のかたち」と「神との完全な親しき交わり」があり、前者が堕落後も残滓として残っているならば後者も同様に残っているのではないか、(2)神のかたちの残滓が保存されているのは聖霊が保っているからではないか。本来ならば熟考してお応えしたい重要な課題なのですが、残念ながら今やや忙しい日々を送っており、非常に簡単な応答になることをご理解ください。
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「知恵」はときに「知識」との対比の中で理解されやすいです 箴言は聖書の中でもことさらに知恵・知識という言葉が連呼される書です。大辞泉によると「
知恵」とは「物事の道理を判断し処理していく心の働き。物事の筋道を立て、計画し、正しく処理していく能力」、「
知識」とは「知ること。認識・理解すること。また、ある事柄などについて、知っている内容。考える働き。知恵」(仏語定義を除く)とあり、定義上は非常に似通った概念ですが、知恵と知識はしばしば対比して理解され、知識は「知っている内容」、知恵は「知識の処理能力」と理解される傾向があります。たとえば西森昌二氏は説教「
助け合って生きよう」において知恵と知識の違いを以下のように言われています:
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福音派神学論文を検索できると助かるのですが・・・ 定期刊行物・共著本内に記されている論文を検索できるホームページ
EBSCOhost(エブスコ・ホスト)は米国中の論文検索ができるすぐれたWebサイトなのですが、Web上で閲覧できる論文には限界があります。私の経験によると年代が古いもの(1970年代以前か?)は検索・閲覧がうまくいかないケースがあります。検索も要約レベルの検索までであって本文全体を検索していないようです(私の経験による意見で未確認です)。キリスト教神学、しかも福音派神学という分野に限定して徹底的に論文を検索するために特出した検索システムがあると助かるのですが・・・
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