上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
シーセンの予知理解への反論 エントリ「
『予知による選び』ってどういう意味?」において、Henry C. Theiessenが予知の理解においてアルミニウス主義の立場をとっていることをご紹介しました。シーセンの(1)選びの定義、と(2)先行的恩恵の受容の姿勢、の2点をみるとき、彼が予知の理解においてアルミニウス主義の立場であることは明白です。シーセンは選びを「キリストを受け入れるであろうと神があらかじめ知られたすべての者を、キリストにあって救いに選ぶ、恵みによる神の主権的な行為」(
組織神学. 島田福安訳. 東京:聖書図書刊行会. 569.)と定義しています。また、シーセンの以下の言葉は、彼が先行的恩恵を信じていることを明らかにしています;
[...] 人類はとがと罪とによって死んで、全く望みもない状態にあり、救いを獲得するために何もすることができないので、神に従うかどうかについて選択をするに十分な能力を、神ご自身がすべての人に、恵みをもって回復してくださる。(571)
残念ながらシーセンによるこの予知の理解は聖書的とはいえません。その第一の理由は、神による「予知」は「あらかじめ定めておく」という聖定・予定の意味だからです(エントリ「
『予知による選び』ってどういう意味?」参照)。第二の理由は、先行的恩恵を支持する証拠聖句がないからです。
続きをよむ