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キリストの死を「すべての人のための神のなだめの供え物」と「選びの民のための罪の身代わり」の両側面から見ることによって、神の無条件選びと非限定贖罪が融和できることをエントリ「
キリストは誰のために死なれたか?」で記しました。そして、「すべての人のための神のなだめの供え物」という理解が、「神の怒りの遅延による一般恩恵の付与」を根拠付けることができ、一般恩恵におけるキリストの贖罪の意義が明確化できる、ということをエントリ「
聖書が語る一般恩恵 -その根拠と本質-」で記しました。
この考えをヨハネの第一の手紙2:2より論拠付けている学位論文(私のです・・・)を紹介します。
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2ペテロ1:20には3つの理解があります 「聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない」(
新改訳聖書
)という2ペテロ1:20の御言葉には、3つの理解があります。
第一に、聖書読者(つまり私たち)が個人的に聖書を解釈してはいけない、とする理解です。日本語訳聖書では
口語訳聖書
・
新改訳聖書
・
新共同訳聖書
がすべてこの立場で訳されています。ヘンリーはこの理解を「一般信徒は確信をもって聖書を解釈できず、教会の解き明かしに頼らなければならないというローマカトリックの見解」(160)と言っています。
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