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09/23 2008

創世記3:15は原福音?

 「わたしは、おまえと女の間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく」(新改訳)という創世記3章15節は、しばしばprotoevangelium(原福音)と呼ばれます。「Paradise to Prison」に記したデービスの言葉は、その意味を的確に表しています、「女の子孫とは明らかに、メシアである主イエスを言及しています […] この原福音は、キリストがサタンに死をもたらすことを予言したのです」(93)。「彼」という男性第三人称単数の指示代名詞を一個人のメシアと捉えるこの解釈は、紀元前3,2世紀に遡る、とマーティンは記しています(427)。教会教父の中ではエイレナイウスが最初にこの理解を示しています(Against Herecies 548-49)。現代でもアーチャー(438)や、リューポルド(165-66)、アレクサンダー(32)はこの理解を支持しています。

 一方、「女の子孫」を「人類」と理解する人たちもいます。旧約学者のキショルムは自著のヘブル語文法書「From Exegesis to Exposition」において、この聖句を創世記22:17と比較しながら、「創世記3:15において、単数の名詞と指示代名詞があるという事実だけでは、”子孫”が指し示すものを、ある個人とみなす必要性はない」(60)と言っています。ウェンハム(79)、コーレル(157)、シンプソン(508)、セイドン(69-92)、ラッド(92-93)、ウィルフォール(361-65)も同様の立場をとっています。彼らによればこの聖句は、蛇と人類の継続的な争いを語っているに過ぎません。どちらの理解がふさわしいのでしょうか。


「女の子孫」は人類全体という集合を意味していると思われます


第一の理由は、創世記において「子孫」(zl`)は、しばしば単数形で複数の子孫を集合的に表しているからです


 ブラックバーンの分析(30)によると、創世記においては、3:15を抜くと47聖句においてゼラー(zl`)という単語は使用され、そのうち40聖句では「子孫」という意味をもっています(他には種、種まき、精子という意味もある単語です)。この40聖句の中で、実子や一般的な意味での子孫を除く32箇所すべてにおいて、zl`は単数形にもかかわらず、集合的な複数の子孫を表しています(7:3, 9;9, 12:7, 13:15, 13:16, 15:5, 15:13, 15:18, 16:10, 17:7, 17:8, 17:9, 17:10, 17:12, 17:19, 22:17, 22:18, 24:7, 24:60, 26:3, 26:4, 26:24, 28:4, 28:13, 28:14, 32:12, 35:12, 46:6, 46:7, 48:4, 48:11, 48:19)。創世記内での類似した用法の圧倒的数を前にして、3:15の「子孫」だけ複数の子孫を意味しないとは考えにくいです。

 さらに、この32聖句の中で「子孫」が主語として使用される4箇所では、主動詞の変化形が第三人称男性単数となっていますので(22:17, 24:60, 28:14, 32:12)、3:15においても「(彼はおまえの頭を)踏み砕き」(shvf)という動詞の変化形が第三人称男性単数であるのは当然です。
さらにキショルムが指摘するように(60)、22:17「あなたの子孫は、その敵の門を勝ち取るでしょう」において、「その敵」という句における「その」という指示代名詞は、KJVにおいて「his enemies」と直訳されているように、第三人称男性単数形です。zl`という名詞自体が男性名詞ですから、指示代名詞で置き換えると当然「彼」になります。ですから、3:15において「女の子孫」を「彼」と置き換えることは文法的に必然なことです。

 「子孫」を一人のメシヤとして理解する人の中には、ガラテヤ人への手紙3:16におけるパウロの単数形の理解に同調する方もおられるでしょう。確かにパウロは「子孫たち」ではなく「子孫」という単数形でしるされるアブラハムの子孫をキリストとして理解しています。しかし同時にガラテヤ3:29では、キリストを信じる信仰者(「あなたがた」複数形)全体がアブラハムの「子孫」(単数形)であるとも言っています。ですから、パウロがガラテヤ3:16においてだけ使用した特殊な話術を、ヘブル語の普遍的文法として理解することはできませんし、パウロ自身も普遍的文法とは理解していません。しかも、ガラテヤ人への手紙3:16は、創世記13、15,17章における「アブラハムの子孫」について語っているのであって、3:15の「女の子孫」について語っていないので、参考になりません。

 そういうわけで、「女の子孫」という表現は、歴史上の誰か一個人をさすのではなく、最初の女エバのもとから生まれでる人類全体を意味している、と理解するのが自然に思われます。

第二の理由は、「踏み砕く」、「かみつく」(新改訳)という2つの動詞は、まったく同じ動詞であって、3:15後半は「蛇に対する女の子孫の将来的優位性」ではなく「蛇と女の子孫の継続的敵意」を語っているからです


 「かかとに噛み付く」行為に対して「頭を踏み砕く」行為は、致命傷をもたらす圧倒的優位なイメージを産み出しますので、女の子孫をやがて来るべきメシアと理解しやすくなります。これはブルガダ(ラテン語訳聖書)とタルグム(旧約聖書アラム語訳)の理解に基づいたコフラー、バウムガートナー、ウェスターマン(260)らの主張に従い、「踏み砕く」という動詞の語幹をshvf、「かみつく」という動詞の語幹をsh’fとして、2つを別々に考えるところから出発しています。カッスト、キドナー、プロッシェらもこの立場にたっています。

 しかし、ヘブル語そのものからは語幹の違いを読み取ることはできず、2つの動詞は主語の人称の違いによる変化があるのみです(前者はyshuvpk、後者はtshvpnv)。実際、セプタギンタ(ギリシャ語訳聖書)は2つを同じ動詞で訳しています。ゲセニウス、ブフル、ゾーレル、コーニングらはその立場にたち、HALOTもそれに従っています(1446)。

 また、2番目の動詞(新改訳では『噛み付く』と訳されている動詞)の語幹がもしshvfではなくsh’fであるならば、HALOTに記されているとおり(1375)、主語が第二人称単数の場合にはtsh’pとなるはずで、実際ヨブ記36:20はそのようになっています。しかし創世記3:15ではtshvp(+nv。 第三人称単数の対象物を表す後置詞)となっていますので、2番目の動詞の語幹は1番目の動詞と同じshvfと理解するのがヘブル語文法では極普通の捉え方です。

 統語論的にも、創世記3:15後半の文章は、主語の「彼」と「おまえ」が対比されているのであって、動詞は同じように訳されるべきである、とウォーキーとオーコーナーも考えています(295)。

 また「踏み砕く」と「かみつく」(新改訳)という動詞の未完了形は、将来の予言を表すのではなく、3:15前半において神が蛇に裁きとして与えられた「敵意」の結果、継続的に蛇の子孫と女の子孫が戦いあうことになるという、習慣的現在を表していると考えるのが文脈にふさわしいです。というのも、完了形の主動詞「(敵意を)置く」で記された3:15前半は、それ以降の後半と接続詞等でつながれておらず、一体になっているため、時間的経過や論理的つながりというよりは「敵意」の具体的内容・具体的結果を説明していると読めるからです。もし将来の女の子孫の勝利の予言として読むのであれば、(1)敵意の中身が具体的になんであるのか分からず、また(2)敵意を置くことと蛇の将来の敗北の関わりが全くつかめません。さらに、蛇に対するメシアの勝利の予言として読むのであれば、その予言はいつ成就すると考えるのか、定かでありません。もしキリストの十字架と復活で成就したのであれば、ローマ16:20「平和の神は、すみやかに、あなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいます」の理解が困難になるのではないでしょうか。ウェンハムは以下のように言っています。

未完了計は反復を表しています。両者共が相手を傷つけようとして、繰り返し攻撃することを意味しています。人類と蛇族の間の生涯続く相互の敵意を宣告しているのです。(79)


結語


 原福音としばしば言われる創世記3:15後半「彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく」という聖句は、サタンに対するメシアの勝利予言ではなく、人類とサタンの間におかれた敵意による継続的な戦いを表していると思われます。創世記全体における「子孫」という単語の使用事例を見るとき、3:15においても集合的単数として用いられ、指示代名詞としては男性第三人称単数が用いられることは文法的に必然であり、パウロのヘブル語文法理解もこれに反してはありません。また、2つの動詞を「踏み砕く」と「かみつく」に区別できる文法的理由は全くなく、対比されているのは「彼」と「おまえ」であり、また、2つの動詞の未完了形は予言的将来ではなく習慣的現在として理解するほうが文脈的に素直です。

 人類とサタンの間の継続的な敵意を意識するとき、3:15後半の2つの動詞shvfは「踏み砕く」という最終的勝利の行為ではなく、さりとて「かみつく」程度の弱さでもなく、New International Dictionary of Old Testament Theology and ExegesisにおいてHebräisches und Aramäisches Lexikon zum Alten Testamentから紹介する訳語である「激しく攻撃する」(4:66)がふさわしいでしょう。蛇を背後で操ったサタンは、こうして神と敵対関係になるだけでなく、人類全体と敵対関係になるという裁きを受けるに至ったのです。

「わたしは、おまえと女との間に、おまえの子孫と女の子孫との間に敵意を置く。
女の子孫たちは、おまえの頭に激しく攻撃することとなり、
おまえは、女の子孫たちのかかとに激しく攻撃することになるのだ。」
                  (創世記3章15節 私訳)


参考文献


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ブロガー: 西原智彦
1972年広島生まれ。ロボットが好きで工学修士に(1996)。聖書に惚れ込み、実践神学修士に(2005)。(さらに詳しく >>)

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