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11/12 2008

分かりやすい説教とは?説教を一文に要約する

 説教学の教鞭をとっておられるPeter Mead氏のブログBiblical Preachingは、講解説教に特出した、具体性に富み、分かりやすく、役に立つコンテンツに溢れています。多種多様な学者の言葉を引用する学問的なエントリーはありません。かえって、説教の現場の視点から考察された考えや、聖書の言葉を説教という形で聴衆に説明し、お薦めする意味や手法を問うコンテンツが多く、結構新鮮な思いをもつことができます。

 そのブログのエントリ「Squeezing One Sentence into Half an Hour(一文に纏め上げた30分の説教)」は、説教が分かりやすいものになるか、それとも混沌とした分かりにくいものになるか、を左右する説教アウトラインに大きな刺激を与える内容です。単純で最も重要なことなのですが、教会の説教の現場では案外なおざりにされている点を指摘しています。

 「説教を要約・抽出した一文をつくる」、欧米の講解説教ではしばしば強調されることです。説教の最後にしろ、最初にしろ、「つまり今日の聖書箇所から私たちが学ぶべきことは・・・・です!」と宣言できる一文です。説教を聞いた聴衆が、「なるほど、今日のメッセージは・・・ということなんだ。牧師は・・・ということが言いたかったんだな」と明確な文章で心に刻み込むことができるならば、その説教は教育的効果が高いといえるでしょう。

 しかし、「説教を一文にまとめることができるなら、どうして30分も説教しなければいけないのか?」という、逆の質問もでてくることでしょう。確かに「一文にまとめることができる説教」と聞けば、なんだか薄っぺらい気がします。そのような問いへのPeter氏の応答は、非常に的を得ていると思いました。Peter氏によると、説教を一文でまとめて、なお30分の間、何を行うかというと、「その中心主題を最善のかたちでお伝えする方法を綿密に計画する」のだそうです。

人々が真摯に興味をもって引き込まれ、この分野における神の言葉へのうえ渇きを感じてメッセージに引き込まれる導入は何なのか?中心主題はいつ語られるべきなのか?テキストのサブポイントを用いながら繰り返し主題を伝えるべきなのか、それとも期待感を膨らませて、主題が一度語られればそれが深められていくようにすべきなのか?テキストの説明によって、主題はいかにして支持されるのか?注意深く展開される適用を通じて、如何にして主題は私たちの生活の中に染み渡ることができるのか?このやり方は、30分の説教時間をとることで、テキストから主題を明確に柔軟に明らかにし、一人一人の生活に適用できるものとするのです。

What introduction will draw people forward into the message with genuinely piqued interest and a thirst for this part of God’s Word? When should the main idea be presented? Should we repeatedly drive it home using the text’s sub-points (not annoyingly like a child’s impersonation of a sub-machine gun, but like the carefully placed bullets of a sniper) or should we create anticipation so once the main idea is stated it goes deep (like a bunker-busting missile)? How can the main idea be supported by explanation of the text? How can the main idea be earthed in our lives through carefully developed application? Option 1 is to take half-an-hour and make that main idea so clear, so transformative, so evident from the text, so applicational for each life.



 では、主題が一文で明確にされていない説教の場合、説教時間の30分はどうなるのか・・・、Peter氏の説明は的を得すぎていて翻訳しずらいのですが、要約すれば「30分かけて、主題をじょじょに曖昧に、混沌とさせる」結果となる、というのです。そして恐ろしいことに、主題を一文で明確にする作業を行わなければ、説教は自動的に後者の部類になってしまう!「Often option 2 is selected by default. 」という言葉、なんとも不気味なほどに考えさせられてしまいました。

 確かに教会における説教は、単なる情報伝達ではなく、聖霊が働いて人を霊的に動かす場です。しかし、聖霊の働きがあるから情報伝達の手法はどうだっていいんだ、というわけではないでしょう。かえって、しっかりとした聖書の言葉の情報伝達があるときに、聖霊も力強く働くのでしょう。「伝える説教」が「伝わる説教」になるとき、説教が用いられる基礎が敷かれるのだと思います。文化とか、お国柄とか、文系・理系とかではなく、「人に伝わる話し方をマスターする」という極当然のことが、教会の説教でも大切にされたらいいんだろうなあ、とPeter氏のエントリーから刺激をいただきました。

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ブロガー: 西原智彦
1972年広島生まれ。ロボットが好きで工学修士に(1996)。聖書に惚れ込み、実践神学修士に(2005)。(さらに詳しく >>)

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